なんとかならないかな…

愚痴にっきです

6月になると

 6月になると、4年前の中学2年で娘の不登校がはじまった月だなーと思うが、あれから体感的に10年くらい経ったような気がする。その間に起こった事、人から言われた事、私たちがやってきた事をまとめてみようかと思う。

 中2(2019年6月)娘が不登校になる。その前の5月の合宿あたりからクラスで浮いている、親友とうまくいかないなどの悩みを打ち明けられるが、授業中居眠りをしていた時に先生から指摘され、クラスの注目をあびた事が決定的なイベントとなって、教室に入れなくなる

→担任から言われた事「今学期に入ってずいぶん自分を変えようと頑張って、係活動に立候補したり、授業も部活も積極的だった。無理がたたったのだと思う。しばらく甘やかせてあげてください」

→言われた通りしばらく自由にさせると、お金の使い方が荒くなる。ゲームセンターやぬいぐるみ集めに大変な金額が投じられる。やむなく私の実家から10万円ヘルプしてもらう。それもあっという間に無くなってしまう。部屋がぬいぐるみに席巻されはじめる。生活の赤ちゃん返りもはじまる。お風呂、睡眠、食事すべて介助を要求するようになる。こちらがいう事を聞かないと暴言、暴力がはじまり、私が過労しはじめる。

→学校のスクールカウンセラーに相談をはじめる。お金の使い方、母子分離不安のこと、話は聞いてもらえるが助言はその都度娘は答えるが家に帰ると元通りになる。

スクールカウンセラーの勧めでメンタルクリニックを受診しはじめる(19年8月から)ASDの診断をうける

→期末テストまでには→夏休み明けには学校に戻れると言っていたが、なかなか復帰できないので、学校側から秋から適応指導教室に通う事を提案され手続きをする。バスで私が毎日送り迎えをしながら通い始める。最初は教室の前で中を見学する事からはじまり、次に私が教室まで入って授業に付き合うところから始まり、バスを降りてやっぱり無理と、帰ってしまう事や、教室前までついてやっぱり無理、という事が多かったが、一冬乗り越え、良い先生にもめぐまれ、なんとか新年度からは学校に復帰できると自分で言い出す。

 

2020年度

 浪費、暴飲暴食、不登校は続く。中3になるので家庭教師のトライさんにきてもらう事にする。テーマパークも週末のたびに通うので家計はカツカツの状態。何を言っても響かない。家庭教師も、数回に1回は「メンタルが保たない」と言い、途中で帰ってもらうことが多くなり、やがて退会した。

 

 時系列的にはどこにいれていいかわからないが児相、障害福祉課に相談をはじめたのもこの頃。

 

 催眠療法、瞑想療法をやってくれている民間のカウンセラーさんを近所に見つけて藁をもすがる思いで通い出す(6月)しかし真面目に先生の指導に従おうとしていないことが発覚して、カウンセラーの先生の怒りを買い、代わりに両親が通うように言われる。

→「本人がやる気を出すまで周りが焚き付けても無駄だし、先生でも親でも、周り無理を通そうとするのは周りのエゴ」だと言われる。まあそれはその通りだと思った。

ヒプノセラピーを受けて私のトラウマを発掘されそうになって逃げる。料金がべらぼうに高かったし。

 

 父娘で家で暴れて警察、救急を呼ぶ事数回

 

 ショッピングモールで暴れて警察を呼ぶ(私がおもちゃのおねだりに応じなかったため殴られ、階段から突き落とされそうになった)

 

→親戚からはスティグマになる、との理由で反対されるが、スクールカウンセラーのすすめで障害者手帳ゲット、ついでに自立支援も申請。利益のほうが多いと思った。公的な相談先は相談すると違う相談先を教えてくれるということを学んだ

 

 夏、私が心身の限界がきて、スクールカウンセラーの勧めもあって娘に入院してもらう。夫が入院先を必死で探してくれたがコロナ禍でなかなか決まらず、9月から私立の拒食症の子のための病院にかろうじて1ヶ月入ってもらい、私は医者の指示もあって両親の家でしばらく休み、やっとちょっと休めた。娘はブクブクに太って帰ってきた。前後して私もメンクリ通院をはじめる。

 

 退院後はもとのメンクリは「入院が必要になる患者さんは受け入れていない」という事で断られ、べらぼうに遠い県立の児童精神センターに通院になる。通院はいつも嫌がって2人で車に乗せてなんとか連れて行く感じ。

 

 中学3年の1年間は、担任の先生が非常に鷹揚で丁寧で優しく、放課後に家族3人で会いに行って話をして、それで出席日数に勘定してくれるようになる。しかし学校では明るい顔をしているが家では相変わらず。時々、登校するそぶりを見せるが校門まで連れて行ってやっぱりダメだと言って帰る日々。相談室、保健室までは行ける日も。ただ、たった一人の親友が、ほかの子と仲良くしていたり、帰りに一緒に帰ろうと誘ってくれなかったりしただけでメンタルが崩れる。

 

 並行して、進学先として郊外のリベラル系私立校を突然言い出す。適応指導教室で再会した小学校の先輩が強力に勧めてくれたから絶対そこがいいと。通学2時間かかるけど大丈夫?ときくがなんとか頑張って通う、というので、現地での進学相談会通い、専願での授業入試を通じてなんとか合格内定ゲット

 

 秋、義父の再入院をきっかけに夫婦仲がギクシャクしはじめる。夫も落ち込み、それを私に当たるようになる。私はネットで会う人会う人に愚痴を言ってしまうようになり、そのタイミングで離れて行く人が多くなってさらに状態が悪化する。

 

2021年度

 16歳になるのを契機に児童精神科から一般の精神科へ通院先を変える必要があったが、紹介された病院がクソみたいに評判悪いところ。(今もそこ)

 

 高校に入学を果たすが、通学は同伴してと言われ、最後の乗り換え駅まで毎日付き添うことになった。娘は通学定期だが、付き添いのための割引はないのかと念の為に駅で訊いてみるが、ないのだそう。やがて一つ前の乗り継ぎ駅までになり、そのうち、駅まで、でオッケーになる。毎朝4時起きで弁当を作り、長時間かけて起こして6時半の電車に乗せるのが難事業。帰りは午後7時頃になる。娘自身、思っていたより通学疲れがあるのはわかった。

 

 友達がやっとできるが、友達との仲もあれこれ疑心暗鬼や嫉妬を絶えずうったえ、それが原因で初夏ごろから行きしぶりが始まり、担任の先生に会いに学校まで行って相談すること数回。

 

→一計を案じ、3人の友達連中とはツイッターDMを通じて私が密につながる。色々経緯や話をきいてもらい助かる面も色々あったが1人はあまりの凄惨さに自分もおかしくなってしまい、その子のお母さんからストップがかかって、私、平謝り。彼女は「適正な距離」を保つことにしているが、ほかの友達はまだ繋がってくれている。その後友達の間では娘は「頼りになる人」ポジなのが発覚する。規範意識へのこだわりも強いのでそうなるのはわかるけど、表裏ができるので無茶がつのる。

 

 夏休みに単発のアルバイトを経験してみたいというので、人材派遣の会社に登録。接客は無理だというので倉庫作業を1日経験させてみたら「辛かった。人の指示がわからなくて、訊くのもいやだった。寒かった。もう二度とバイトなんかしたくない。」というので、その時点から今までアルバイトはしていない。

 

2022年度

 春から満員電車の通学が「無理」になる。曰く「おっさんのにおいに耐えられない」

→遅刻、欠席が増え、前日に学校近辺のホテルに泊まる(!)などを経て、駅前のスクールバス乗り場徒歩3分のアパートを見つけて6月から借りることになる。家賃5万。夫が同居して、そこから通勤しつつ身の回りのこと一切も引き受けることになる。娘は家事一切をやらない。

 

 私は少し元気を取り戻す。それらの間に、義父が亡くなる。夫は義父の死因を娘のせいにしている。周りがいくらそうではないと言ってもそのレッテルが今もとれない。娘、リスカが始まる。何度辞めさせようとしてもやめず、警察呼ぶ。

精神科の診察室でもカミソリの件で大立ち回りの末、通院をやめてしまう。夫が代理で通院をしている。

 

 サークル立ち上げをする。着ぐるみ制作に打ち込む。

 

 ムギが腎臓を壊す。夫が八つ当たりで怒鳴って膀胱炎で血尿を出したのがきっかけ。ほぼ生涯、1週間に2回の点滴治療を必要とするようになる。ムギ、恐怖から赤ちゃん返りがはじまる。お母さん子になってしまう。

 

 夏休み、娘は仲良しグループ4人で宿題合宿、ディズニー行き等を楽しむが、その結果、メンタルが大変なことになる。仲が深まるだけ同時に募る無茶苦茶な理由の嫉妬心と劣等感のため。リスカがカバー無しのカミソリに代わり毎日血だらけになる。夏休み明け、オーバードーズがはじまり3日置かないでラリって救急搬送。

医療保護入院2ヶ月

これが正しかったのかどうかは今でもわからないけど、これやらなかったら今もカミソリと風邪薬を探しては捨てる生活が続いていたと思う。

 

 その間、10月後半、私の実母が事故死。実は事故死を疑っている。感覚的に。夫が誰に言われても自分の父親の死因を娘のせいにする事に囚われているように私も母親は自死なのではないか、という事、その理由の半分は私じゃないのか、という事を心の中から拭えないでいる。きょうだいは葬儀社の霊安室に日参していたが、私は死んだ母の顔を葬式まで見る気になれなかった。気持ちの整理はまだついていない。

 

 娘、退院後、進級単位が危なくなって2月にはリスカ再開が発覚して、それからはマメに娘の家に行くようにしている。しかし近くにいるのは2〜3週間が限度という事が自分もわかってきた。近づきすぎると八つ当たりや激昂がはじまり、離れると自傷がはじまる。単位は尻叩きと手伝いを経てようやく間に合い、進級はできて一安心と思いきや

 

 2月に「美大に行きたい」と言い出す。卒業後はサブカル系の専門学校にでも行ければいいかなと思っていたのが、「人生に妥協はしたくない、サンリオに就職したい、だから美大にいきたい」とのこと。

 

→行きたいと言うんなら、止める理由はない。とアパートの至近距離で小規模な画塾をやっている先生がいたので門を叩いてみる。大変良い先生で、発達障害の子も何度も指導してきたというので、おまかせしてみようと思った。

 

 数週間で「デッサンつまらない」と言い出し、画塾にほとんど行けなくなる。

→その時期あたりから、アラームでの朝起きが不可能になる。仕方なく朝、起こすためだけに始発で往復するようになる。早朝からの7時間がそれに費やさせるようになる。

 春休みだったか、一度、私が我慢の限界を迎え、画塾の前で行く行かないで大げんかして交番からお巡りさんがきて画塾まで同行してもらった。しかし10分目を離した間に逃亡。捜索願いを出す。ディズニーランドで発見される。夫のクレカから金を引き出していた。

 

今年度

 4月からは基本私が同居、ダウンしたら夫が交代、のペースに移行。朝、起こすのは私一人では無理になりつつあった、仲良しグループの中の男の子が手伝ってくれることになった。バイド代を払っている。

 

→昨年訪れてみた美術系進学相談会で、着ぐるみを油彩科の総合型入試に作品として持ち込んでいいよと某美大教授が言ってくれたので、受験はそれに賭ける事にしてみたが、画塾に着ぐるみ制作材料、道具いっさいを持ち込んで、画塾の先生も、好きな時間にきて好きなだけ作業してもいいよ、と合鍵まで渡してくれた。それでもなお、行き渋りが続く、どうしてかときいてみたら

「最初は行きたいと思っていた場所なのに、お母さんが無理強いをするから『行かなければいけない場所』になってしまったので、行く気を無くした。『大丈夫だよ、やってみたらできるよ』みたいな、綺麗事をならべた、お母さんの『応援』ももううんざりだ。」

「本当は大学行きたいわけじゃない。でも卒業してもニートはダメ、ってお母さんが言うから、仕方なく大学行くって言ったんだ。働きたくないのが本音だ。」

 

→そこまで言われたらもうどうすればいいかわからないよ……というわけで、昨日からまたちょっとだけ休息のため自宅にもどっている。娘のアパートには夫が行っているが、娘の世話について全然私の指示した事きいてくれない。

 

→ムギはかまってちゃんになり、私はまた疲れ果てている。一緒にいると消耗し、離れると不安がつのる。

 

 美大入試は私が無理に勧めているのではなく本人の希望だった。モラトリアムに使えるほど美大生の生活は甘くないのも知っている。浪人するのもべつにいいと思ってるけど、それもメンタル的には辛いだろうと思う。夫みたいに突き放して育てても、放っておいてもやる気を出す人じゃないというのはわかってきた。ある程度機嫌の良い時を見計らって尻叩きは必要で、本人もそれを求めているとわかる時がある。ただ時期と機嫌を間違うと地獄になるし、すごい慎重さとテクニックを要する。私のほうが疲れていると扱いが粗雑になったり判断ミスが増えたりしてしまう。今はリミッターをこえているところ。夫は家事以外何も関わらないようにしているから、娘からは「放置されてる」と感じているらしい。

 

 浪費癖は止まず夫のクレカから金を引き出すのは夫が何度トライしても止める方法がわからない。娘のスマホからクレカ情報を消してもクラウドに残っているらしくていつのまにか復活している。今のところ黙って使うことはないけど、私に「つかっていい?」と迫ってきて、イエスと答えるまで絶対に引き下がらない。それで「私が良いって言った」が既成事実になると思っている。ずるいと思う。昨日も人形の洋服代だけで15000円持っていかれた。これでバイトしたくない。卒業旅行USJ行きたいって言ってる。考えたくない。

 

 今年は30年以上休まなかった公募展への出品を初めて休んで娘のサポートに専念する事にした。「そこまでしてるのに!」という気分も否定できない。

 

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